布を織ることは、洋の東西にかかわらず女性の大切な職業とされてきました。
そもそも七夕の起源は、天帝による罰であったと言われています。
天帝は、機織りの仕事に明け暮れる自らの娘を哀れみ、
牽牛に嫁がせたのですが、嫁ぐとすぐに娘は機織りの仕事を
一切忘れてしまうのです。天帝はこれを怒り、二星を引き離し、
一年に一度のみの逢瀬を許したのですが、それほど、
古代において機織りは重要な仕事であったのでしょう。
縦糸と横糸を紡ぐことは、永遠の命をつむぐこと、
子孫繁栄につながる象徴と考えられてもいました。
7月7日に五色の短冊に願いを書いて飾り、
天の川に祈る七夕の原型は万葉時代にもありました。
中国では七夕は牽牛と織女を祀る秋の行事で、
日本の宮中に伝来し、これに日本の棚機女
(たなばたつめ)の伝説が重なって一緒になったようです。
棚機女とは織物を織る女性の巫女のことです。機(はた)とは、
はつ(合わせる)という意味で、織ると同義語で織物の意味に使われています。
君に逢はず 久しき時ゆ 織る服の 白栲衣 垢付くまでに 2028
きみにあはず ひさしきときゆ おるはたの しろたへころも あかつくまでに
「あなたに逢うこともなく、ずっと久しく織っている白栲の衣も、
手垢が付くまでになってしまいましたわ」
七夕での逢瀬を待ち焦がれ、あなたのために心を込めて
織っている白い衣がああまりに久しい時のために手垢で
汚れてしまったという織姫の実感のこもった和歌です。