副都心線が開業して 東横線・みなとみらい線と直通運転がはじまったのは2013年のこと。
川越から新宿、渋谷、さらに横浜まで直通でいけるのは、市民としては大変便利になったなあと感じています。
また、西武線の本川越駅も西口と駅前広場が出来、川越市駅、本川越駅、川越駅とバラバラだったエリアが回遊しやすくなりました。
ところで、川越に最初に鉄道がひかれたのは、明治28年(1894年)のこと。日清戦争が終わり、
講話条約が結ばれた年のことです。現在の西武線の本川越駅が、川越ではじめてできた駅です。
本川越から所沢経由で国分寺に抜け、中央線とぶつかるという鉄道です。
明治20年代は、織物産業が盛んな時代。所沢は関東有数の織物産地として発展しました。
川越織物学校(現川越工業高校)の卒業生が「湖月縮」というちじみ織物をつくり発展しました。
竹久夢二が絵葉書や中山晋平による所沢小唄など宣伝も盛んに行われます。もともと直に東京に
出荷するルートがなく、鉄道を敷くことに商人が尽力したという経緯があったのです。
大正3年、東武東上線が開業します。東京と上州渋川までを結ぶという意味で東上線と
命名されましたが、その後、国鉄高崎線が出来たため、この計画は寄居で止まってしまいました。
そして、東上線開業の際に、六軒町に川越町駅が出来ました。さらに、その後、川越に国鉄が
敷かれることになって、今の川越駅が新しく作られ、もともとあった川越駅が本川越駅という名称になったのです。
当時は、川越に鉄道が敷設されるのに反対だった議員などもいて、川越では中心街に鉄道は
建設されませんでした。そのことから現在街の中心地は駅よりの南に移り、旧中心市街地が北に残るかたちになりました。
鉄道の前は、285年間、江戸と川越を結んだ船が毎日行き来していました。主に荷物
を運んでおりましたら、早船という、人を乗せる専用として作った特急のような舟もありました。
その早船では、午後3時に川越新河岸を出たとして、翌日12時に東京荒川沿いに着くと、だいたい22時間ほどかかっていました。
その後、明治14年、高崎線が上野から高崎まで開通した時、川越から大宮まであるいは浦和まで
歩いて行って、そして汽車に乗って東京に行くという人がだんだん出てきて、人々はほとんど船を使わなくなったそうです。